投稿

2016の投稿を表示しています

#tTMC 第3回のドキュメント

を作りましたので、御覧ください。 第3回 #tTMC クリスマス瞑想会のこと

第3回 #tTMC のこと クリスマス瞑想会のお知らせ

テーラワーダ仏教の瞑想をされている皆様、こんにちは。 第3回の #tTMC について書きます。今回はクリスマスに開催しますので、「クリスマス瞑想会」としました。 #tTMC の基本的な情報については、 #tTMC : twitter Theravada Meditation Circle/Crossover 「Twitter テーラワーダ瞑想サークル/交差点」 のこと  をご参照ください。 前回のこと 第2回 は9名もの方が集まっていただき、 チャルーンサティ(Youtubeの動画:音が出ます) を教えてもらえたり、 ゴエンカ さんのヴィパッサナーの話や パオ森林僧院のマハーカルナー禅師 の話がきけるなど、様々な瞑想の情報が得られ、体験もできる場になりました。 もちろん指導できるお坊さんの集まりではないので、試供品程度の、ひとくちかじる程度の話ではありますが、いろんなタイプの瞑想を軽く試してみる場にはなれるかと思います。そうすることで、どんな瞑想が向いているかを実地で確認できるかもしれません。またその実感をもとに、初心者指導に出向いたり、法話を聞きにいったり、といったステップを踏んでいくことも可能になるかと思います。そういう最初の一歩になればいいなーと思います。 1. 日時: 2016/12/25 日曜日 13時から17時 2. 場所: 京橋区民館 (東京都中央区京橋2-6-7) 最初から参加される方は、待ち合わせは現地の入り口当たりで、12時50分くらいを目安に。わからなかったら、080-5519-0886 までご連絡を。  ※何時に来ていただいてもOKです。 京橋区民館  http://chuo7kuminkan.com/about/kyobashi.html 3. 注意事項: 服装 緩い恰好で。 瞑想するのに可能な緩い恰好でおいでください。スキニージーンズやミニスカートとかだとちょっとつらいことになるかと思います。特に後者では僕の目が離せなくなってしまいます。 屋内なので、基本的には寒くないと思います。 持ち物は、各自適当にお願いいたします。 場所代が発生するのでお気持ちでお布施願います。余ったら日本テーラワーダ仏教協会はじめ、色んなテーラワーダの団体に寄付したいと思っています。一応財布

施捨の随念

イメージ
施捨の隨念とは、40あるサマタ瞑想の一つです。サマタ瞑想というのは、瞑想という言葉でイメージするあの瞑想っぽいです。つまりある対象を念じ、集中し、集中力を極限まで高めて、神秘的な感覚に至るような。ああいう瞑想。 (このブログではあまりサマタ瞑想は取上げてませんが、一応以下のような記事があります。ご参考まで。  サマタ瞑想の分類・禅定に達するか・どのような智慧を得られるか ) で、この施捨随念は何か良いこと、チャリティとかそういうことをしたときにします。というか、この随念をすると、さらに気分良くなれます。 よいことというのは、お寺へのお布施とかに限らず、電車で席を譲ったとか、国境なき医師団に寄付したとか、ホームレスの人に千円上げたとか、道を教えるのに付き合ってあげたとか、何でもよいと思います。何か、自分のものや労力を、見返りを求めることなく分け与えたときに。偽善かどうかとか一切考えず、分け与えた瞬間に、すでに善いことをしています。 意外と仏教は、自分の気分をよくしますね。 私もよく、これを唱えています。 日本語としては若干こなれていないので、好きにアレンジしていいと思います。自らのうちの、自我を削り取る、薄くする実践を確認するという作業かなと思います。 こちらに載っています。サマタ瞑想を知りたい方はお買い求めください。 ブッダの実践心理学―アビダンマ講義シリーズ〈第7巻〉瞑想と悟りの分析1 アルボムッレ・スマナサーラ 藤本 晃 サンガ 2012-10-23 売り上げランキング : 202500 Amazonで詳しく見る by G-Tools 施捨随念 これは私にとっては得です。確かに大得です。 衆生の心が「物惜しみ・ケチ」という汚れに抑えられているのに、 私は物惜しみ・ケチの汚れに染まらないで、在家生活をしている。 私の心は施捨に開かれている。施しの手を差し伸べている。 譲るのが好きです。頼りにされる性格です。 与えて分け合うことを喜びとします。

第2回 #tTMC のこと

(11/15 追記: 当日は晴れて暖かくてとても楽しく過ごせました。新宿御苑はいいですね。駅からも近いし。総勢9名の方が参加してくださり、複数のタイプの瞑想を実践できました。ありがとうございました。 ) テーラワーダ仏教の瞑想をされている皆様、こんにちは。 第二回の #tTMC について書きます。 基本的な事項は、 #tTMC : twitter Theravada Meditation Circle/Crossover 「Twitter テーラワーダ瞑想サークル/交差点」 のこと  をご参照ください。 1. 日時: 2016/11/5 13時から日の入り(16:43)まで 2. 場所: 新宿御苑 13時の待ち合わせは新宿門前で。わからなかったら、080-5519-0886 までご連絡を。 ※何時に来てもOKです。 入った後は、良さげなところにシートを広げて座るつもりです。場所が決まったら、 #tTMC のタグをつけて、Twitterでつぶやくので、それを確認してきてください。 新宿御苑の地図(PDF) 3. 注意事項: 服装 防寒と緩い恰好で 瞑想するのに可能な緩い恰好且つ防寒をしっかり、というちょっと難易度が高いかもしれませんが、外での瞑想になり、瞑想ということは動かないので、寒い可能性が高いです。各自、そのころの基本スタイルよりも一段あげた防寒対策でやってきてください。 以上です。 瞑想経験者、未経験だけど興味のある方、どうぞご自由においでください。 次回は12月中旬以降を考えています。12月17日とか。場所はどこかの和室なんかを借りるかな。いいところを知っていたらご連絡ください。

廻向(えこう)の文

イメージ
廻向(えこう)の文は、自分が積んだ功徳を、他の生命にあげますという文言です。 廻向すると、減るのではなくて、増えるようです。増殖分裂するものだと思えばよいかもしれません。 一日の終わりに唱えてもいいですし、瞑想が一段落したら唱えるのでもいいと思います。 私は朝の瞑想の時に、 懺悔請願の文 や 慈悲の瞑想 、そのほか施捨の隨念の時に一緒に唱えちゃってます。前日分というイメージでやってます。 功徳と廻向についての詳しいことは一番下の本やリンクをご参照ください。 廻向の文 仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝に礼拝(らいはい)帰依(きえ)し、戒を守り、 慈悲の瞑想とヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、 神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、 一切の生きとし生けるものに廻向(えこう)いたします。 この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。 そして、解脱が得られますように。 功徳と廻向についての本 功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意 藤本 晃 国書刊行会 2006-08 売り上げランキング : 89028 Amazonで詳しく見る by G-Tools 仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書) 藤本晃 サンガ 2015-02-08 売り上げランキング : 83379 Amazonで詳しく見る by G-Tools 功徳と廻向についてのリンク 【46】 冥想の姿勢/功徳と善行為について 【40】功徳の積み方 【39】功徳とは何か ヴィパッサナー冥想は一番高い徳 - 功徳(1)

懺悔請願の文

日本テーラワーダ仏教協会の瞑想合宿に行くと、お勤めの時間があって、そこで懺悔請願(さんげせいがん、ざんげせいがん)の文などを唱えます。 ( 瞑想合宿についてはこちら ) やってしまったことはちゃんと謝り、解脱するのに頑張ります、というような感じです。 仏教の瞑想をされている方にはとても良いのではないかと思いますので、入れておきます。 懺悔請願の文 懺悔いたします。 無明(むみょう)の闇に覆われて、身口意(しんくい)の三業(さんごう)によって犯してしまった過ちがあります。 仏法僧(ぶっぽうそう)に対する過ち、恩師に対する過ち、生きとし生けるものに対する過ち。 これら一切の過ちを懺悔いたします。 また、自分が受けた他の人々の過ちも許します。 このように、雑事を離れ、独り静かに自己の心身を念を持って見つめるとき、 瞬間瞬間変化生滅(しょうめつ)し続ける現象をヴィパッサナーによって洞察し、 真の幸福を得て、解脱の道へ導かれますようにと、ここに請願をいたします。 以上です。私は、朝の瞑想を始めるときに、これを唱えています。慈悲の瞑想の後か前か。

グナラタラ長老「マインドフルネス」の慈悲の瞑想

イメージ
以下の、グナラタラ長老の本にある慈悲の瞑想を抜き書きしました。こちらもお試しください。 マインドフルネス バンテ・H・グナラタナ 出村佳子 サンガ 2012-08-23 売り上げランキング : 7008 Amazonで詳しく見る by G-Tools 私が、 健康で幸福で安穏でありますように。 危害がありませんように。 願い事がかなえられますように。 人生で避けることのできない困難や問題、失敗に出会ったとき、忍耐、勇気、理解、決意をもって乗り越えられますように。 道徳、誠実、赦し、憐れみ、気づき、智慧をもって克服できますように。 私の父母が、 健康で幸福で安穏でありますように。 危害がありませんように。 願い事がかなえられますように。 人生で避けることのできない困難や問題、失敗に出会ったとき、忍耐、勇気、理解、決意をもって乗り越えられますように。 道徳、誠実、赦し、憐れみ、気づき、智慧をもって克服できますように。 私の先生たちが、 健康で幸福で安穏でありますように。 危害がありませんように。 願い事がかなえられますように。 人生で避けることのできない困難や問題、失敗に出会ったとき、忍耐、勇気、理解、決意をもって乗り越えられますように。 道徳、誠実、赦し、憐れみ、気づき、智慧をもって克服できますように。 私の親戚たちが、 健康で幸福で安穏でありますように。 危害がありませんように。 願い事がかなえられますように。 人生で避けることのできない困難や問題、失敗に出会ったとき、忍耐、勇気、理解、決意をもって乗り越えられますように。 道徳、誠実、赦し、憐れみ、気づき、智慧をもって克服できますように。 私の友人たちが、 健康で幸福で安穏でありますように。 危害がありませんように。 願い事がかなえられますように。 人生で避けることのできない困難や問題、失敗に出会ったとき、忍耐、勇気、理解、決意をもって乗り越えられますように。 道徳、誠実、赦し、憐れみ、気づき、智慧をもって克服できますように。 私の知らない人々が、 健康で幸福で安穏でありますように。 危害がありませんように。 願い事がかなえられますように。 人生で避けることのできない困難や問題、失敗に

#tTMC : twitter Theravada Meditation Circle/Crossover 「Twitter テーラワーダ瞑想サークル/交差点」 のこと

(2016/11/15追記: 出発当初、雨で、ああ屋内かなと思っていたところ、着いたら雨が上がりました。また、2,3人かなと思っていたのに、総勢で5名になり、本当にありがたい一日でした。瞑想したりお話ししたり。人気の少ない代々木公園で穏やかに過ごせました。) Twitter上でのテーラワーダ瞑想サークル/交差点の情報です。10/8 に第1回の #tTMC をやろうと思います。参加される方の参考のために覚書的に書いておきます。 1. 第1回の日時: 2016年10月8日 土曜 13時ごろから日の入りまで 終わり時間は日が沈むころと思ってます。また、その後、気が合う人とお食事などにいくのはご自由にどうぞ。 2. 第1回の場所: 代々木公園のどこか TwitterでGPS情報つけて呟きます。あとは、お香でも炊いておくので、それを目印に来てください。わからなかったら、080-5519-0886 までお電話ください。雨天はどこかの喫茶店などに生きたいと思います。いいところがあったら教えてください。 3. 今後の日時: 月に一回程度、土日・祝日 雨天の対応は2と同様です。 4. 今後の場所: 暖かい季節は公園や海やどこかの広場で、寒い季節はどこかの会場で 座布団のある和室などをよく利用すると思います。たまにはお茶会として、ただおしゃべりすることもあるかもしれません。もちろんテーマはこれ↓に関するものですが。 5. 参加不参加、参加時間のこと: 予約・参加表明、ご連絡などは不要です。参加時間も、勝手に来て勝手に去っていただければ。ご挨拶していただいてもいいですし、しなくてもいいです。 6. どんな瞑想か: テーラワーダ仏教系の瞑想 なぜ限定するかというと、瞑想というと非常に幅広いのと、発起人の私はこれしか知らないからです。 スマナサーラ長老のマハーシ系 プラユキ師のチャルーンサティ パオ僧院系 グナラタラ長老系 プッタタート長老系  その他、昨今のマインドフルネスなど 7. 何をするのか: 瞑想実践、瞑想に関する雑談、原始仏教に関する雑談など 日ごろ自分の実践で疑問に思っているところがあるけど、 JTBA 行くまでもないし…といったようなことなども聞きやすい場になればと思います。もちろんしっかりし

熱海仏法学舎でのヴィパッサナー瞑想合宿に参加したので情報共有

イメージ
熱海仏法学舎でのヴィパッサナー瞑想合宿の情報     日程と費用 9/16 から 9/20 までの四泊五日、日本テーラワーダ仏教協会(以下JTBAとする)の瞑想合宿に参加してきた。指導者はヤサ長老。費用は1泊×5,000円+3,000円。フルで参加すると23000円。 食事 食事は1日2回。朝7時からと午前11時から。食事の内容は精進料理で、肉も魚も含まれないが、美味しい。ごはんは玄米と白米を選べる。最後の日は玄米ときのこの炊き込みご飯だった。おやつとお茶類は常備されているので小腹がすけばつまめる環境。ただし必ず食事の瞑想を行う。食べる喜びのために、食欲のために食べるという行為ではない。ちなみにこんなに長い間魚も肉も食べずに過ごしたのは物心ついてから初めてではないかと思う。焼肉屋の息子なので、肉のない生活はなかったし、今もそのように過ごしているから。だが、合宿に行くたびに、肉魚は不要なのではないかと感じさせられる。ちなみに卵はある。このあたりの分類は気にしだすときりがなさそうだ。ちなみに、合宿の5日間で1.8キロ体重が落ちた。心だけでなくて、体にとっても健康に良い。 宿泊所 男女は分かれて宿泊する。男性は隣の毘沙門堂で大部屋。10人くらいまで寝られるスペース。女性は食堂のあたりの宿坊。 スケジュール 初日は2時集合、だが、まあばらばらに勝手に瞑想を始めている。 朝5時のお勤め(上座部仏教の三帰依文からいくつかのお経を読む)が約30分、続いて慈悲の瞑想をしてヴィパッサナー瞑想。ヴィパッサナーは10+50分。最後に回向の文かな?、そして食事。食事時間は約30分。 9時からは希望者のためのお坊さんのインタビュー。自分の実践について相談できる。 11時からは食事のお経をし、食事、食事の時間は約1時間 夜5時からお経と瞑想。その後男性は風呂。(女性は時間自由?) 寝るのは自由に。でも5時には必ず本堂に。 最終日はお昼の後、1時からお勤めをし、最後の瞑想をし、掃除を開始する。掃除が完了したら、尼僧さんの車やタクシーで相乗りして帰る。 というスケジュールだが、寝ている間以外はすべてヴィパッサナー瞑想を行う。 その他 :過ごし方など また、食事のスケジュールでもわかると思うが、瞑想に特化していて、終始無言を貫く。

怒り、恨み、などについての本やリンク

イメージ
(本のアフィリエイトIDは、日本テーラワーダ仏教協会のものです。スマナサーラ長老の本の場合は著者に、それ以外は仏教協会に、とお考えいただければ。いずれにしても私個人には入りませんのでご安心ください。) 怒り、恨み、嫉妬、憎しみ、そういった暗い気持ちについて、テーラワーダ仏教でどう考えるかを著わした本やリンク集です。例によってスマナサーラ長老のものが多いです。 最初は私自身のものから。以下のページでは、仏教に触れる前に書いたことがかかれています。 http://juryoku.blogspot.jp/2016/03/blog-post_83.html?view=sidebar また、以下のリンク先では、「怒り」という言葉が含まれる僕のtweetです。ご参考まで。 http://twilog.org/jinon/search?word=%E6%80%92%E3%82%8A&ao=a さて、以下、まずは本をいくつか。 スマナサーラ長老の著書 怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) アルボムッレ スマナサーラ サンガ 2006-07-18 売り上げランキング : 9286 Amazonで詳しく見る by G-Tools できればこの本は読んでほしい本です。自分の中に渦巻く怒りを何とかしたい人にとって、良い入口になると思います。 怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書) アルボムッレ・スマナサーラ サンガ 2010-07-29 売り上げランキング : 80881 Amazonで詳しく見る by G-Tools 怒らないことの続編です。 怒らない練習 アルボムッレ・スマナサーラ しりあがり寿 サンガ 2013-04-25 売り上げランキング : 114157 Amazonで詳しく見る by G-Tools この「怒らない練習」から僕はテーラワーダ仏教に入りました。これを買った瞬間が、僕の人生の転機とも言えますね。絵があって親しみやすいです。ただ、ところどころ上記の本を参照しているので、そのあたり気にならないならこれから読んでもいいと思います。 怒りの無条件降伏―中部教典『ノコギリのたとえ』を読む (「パーリ仏

慈悲の瞑想について ヒントになることのそのリンク集

慈悲の瞑想について、ヒントとなるようなリンク集です。 例によって、スマナサーラ長老に偏った情報です。 まず、慈悲の瞑想の文言はこちらでどうぞ。 http://juryoku.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html で、フルバージョンはこちらで。 http://bukkyofan.blogspot.jp/2015/12/250.html それから、そもそもの解説はこちらで。 http://www.j-theravada.net/3-jihi.html 「慈悲の瞑想」初めての方向けの説明 グナラタラ長老の「マインドフルネス」に収録されている慈悲の瞑想はこちらで。 http://juryoku.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html 私の実践 私の実践も長老の本などから来ているので、それをちょこちょことつまんだ内容になりますが、箇条書きしておきます。 冥想するタイミング 起きた時 寝る前 寝ながら(目をつむってねつくまで、すっと寝れるようになります。寝つきの悪い人は是非お試しください。あ、あと、カフェインも断つといいです) ヴィパッサナー冥想する前 人と会う前(←これ、超おすすめです!) 感情が高ぶっているとき(腹が立った時とか悲しくなった時とか) 電車で暇なとき 疲れたなと思うとき 集中できないとき その他のTIPS 言葉は意外と自由に(生きとし生けるもの、を、みんな、にかえたっていいですし。 時間がない時は、全部唱えず[生きとし生けるものが幸せでありますように]だけでもOK。 フルバージョンは気分に合わせて3,4つをピックアップしてやってます。全部やる時もある。 呪文のように唱えたってOK(妄想するよりはずっといいし脳みそにも少しずつしみいる)  でも集中して、ちゃんと心を込めてやった方がよいでしょう 声に出した方が、出さないより効きがいい気がする。 家族がいて恥ずかしかったらお風呂とかで。 満員電車でやると多分楽になります。 人に会う前にやると人見知りが軽減でき、かなり良い結果が現れます。きっと。 自分、嫌いな人、などに対してやれない人が多いみたいですが、まあ無理せず。暗い気持ちになったとき、苦しい気持ちになっ

初期仏教、ヴィパッサナー瞑想、慈悲の瞑想などに関する本・リンク集

イメージ
テーラワーダ仏教、初期仏教、瞑想、などについての本やリンクをご紹介します。 比較的簡単なものを集めました。もっと難しい本などもありますが、興味を持ったら進めばいいと思います。仏典は紹介していません。スッタニパータとかダンマパダとかたくさんあります。これらにあたるのが王道ですが、なかなか難しいのも事実ですので、現代のわかりやすい本だけを紹介します。 またアルボムッレ・スマナサーラ長老とグナラタラ長老の本ばかりです。偏りはあります。以下のような考えを持っているため、このようにしています。もちろん、他の方の本をお読みになるのもいいと思います。 僕は瞑想オカンさんとは違って、一人の人を徹底的にコピーするところから始める。しきれはしないけど、そうすることによってその人の背骨みたいなのが僕に入るという感覚がある。その背骨が入れば、あたり一面がしっかり見える。他のことを評価できる。軸がないと何がなんだかわからなさそうで。 — じのん (@jinon) August 30, 2016 (本のアフィリエイトIDは、日本テーラワーダ仏教協会のものです。スマナサーラ長老の本の場合は著者に、それ以外は仏教協会に、とお考えいただければ。いずれにしても私個人には入りませんのでご安心ください。) 怒り、仕事についての本 まず、怒りについての対処から。怒りを制御できないと人は苦しむので、その苦しみが仏道などにひかれる理由になることが多いと思うからです。また、私自身、「怒らない練習」がこの世界に入った入口でした。 怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) アルボムッレ スマナサーラ サンガ 2006-07-18 売り上げランキング : 6983 Amazonで詳しく見る by G-Tools 怒らない練習 アルボムッレ・スマナサーラ しりあがり寿 サンガ 2013-04-25 売り上げランキング : 97567 Amazonで詳しく見る by G-Tools それから、仕事について。こちらにも悩まれている方が多いでしょう。 仕事でいちばん大切なこと アルボムッレ スマナサーラ マガジンハウス 2009-04-23 売り上げランキング : 34224 Amazonで詳しく見る

慈悲の瞑想 フルバージョン

こちらからコピペ。http://bukkyofan.blogspot.jp/2015/12/250.html ありがとうございます。 日本語はまだこなれていない気がしてしまいますが、それは事務局などがやってくれるのでしょうか。 また、携帯バージョンの慈悲の瞑想に比べると、やはり宗教性のようなものがかなり強くなりますが、一通り読んでみると、なんとなく、慈悲についての理解が深まる気がします。 私としては朝昼晩、読んでみようかと思っています。 ○ 私は幸せでありますように 私は幸せでありますように。 私のこころに現れる悩み、苦しみが徐々に消えていきますように。 怒り、嫉妬、憎しみの感情は人のこころを苦しめます。 苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、私のこころに起こりませんように。 怒り、嫉妬、憎しみの妄想を育てないように努めます。 私の思考が慈しみの思考になりますように。 私は「物事が常に変化して消え去るものである」と観察します。 私は過ぎ去った出来事に囚われないように精進します。 私は将来のことに執着して悩まない、不安にならない人間になります。 私は今ここで、するべきことに集中します。 ○ 私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように 私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。 他者に対して、優しいこころで対応することができますように。 私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。 苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。 私のこころが、常に平安でありますように。 私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。 私に、ありのままの事実を発見することができますように。 私に、真理を発見する智慧が現れますように。 私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。 私に、悟りの光が現れますように。 ○ 全ての生命は兄弟 私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。 私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。 私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。 私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。 ○ 私は釈尊の言葉を念じます。 私は、釈尊の言葉を念じます。 無始なる輪廻のなかで、私の母で

慈悲の瞑想 

2016/12/24 追記 以下のように、改訂されました。「人々」を「生命」に。この方がより広がりますね。 いろんなところでスマ長老がそう言ってたのでなるべく生命にしてやってたけど、パティパダーでもアナウンスされました、慈悲の瞑想の改訂。 pic.twitter.com/2boOi7SA7R — じのん (@jinon) December 23, 2016 下記もご参照ください。 慈悲の瞑想について ヒントになることのそのリンク集 慈悲の瞑想 フルバージョン 以下、慈悲の瞑想の文言です。 私は幸せでありますように 私の悩み苦しみがなくなりますように 私の願いごとが叶えられますように 私に悟りの光が現れますように 私は幸せでありますように 私は幸せでありますように 私は幸せでありますように (この合間で、「私は幸せでありますように」を好きなだけ心の中で念じます) 私の親しい 人々 生命が幸せでありますように 私の親しい 人々 生命の悩み苦しみがなくなりますように 私の親しい 人々 生命の願いごとが叶えられますように 私の親しい 人々 生命にも悟りの光が現れますように 私の親しい 人々 生命が幸せでありますように 私の親しい 人々 生命が幸せでありますように 私の親しい 人々 生命が幸せでありますように (この合間で、「私の親しい 人々 生命が幸せでありますように」を好きなだけ心の中で念じます) 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように 生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように 生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように (この合間で、「生きとし生けるものが幸せでありますように」を好きなだけ心の中で念じます) 私の嫌いな 人々 生命も幸せでありますように 私の嫌いな 人々 生命の悩み苦しみがなくなりますように 私の嫌いな 人々 生命の願いごとが叶えられますように 私の嫌いな 人々 生命にも悟りの光が現れますように 私を嫌っている 人々 生命も幸せでありますように 私を嫌ってい

ヴィパッサナーについて: 座る瞑想、姿勢のゆがみ、ねじれの感覚

座る瞑想をしていて、これまで、姿勢が整っていないと感じてしまうことが多かった。 具体的にはゆがみの感覚があった。いつもだいたい体の左側に問題が出るのだが、左肩が下がっているように感じるし、左側の首から肩にかけて、前方にぐにゅっとねじれていると感じる。 数値で言えば、何十度かねじっているのではないか、というようなくらいに感じられていた。 こういう感覚があると、微かに動かして調整するということを繰り返していたし、どうも完ぺきではないという思いに付きまとわれていた。姿勢へのこだわりが非常に強かった。 (スマナサーラ長老の 手法 では、ヴィパッサナーをやるときは、《死体を演じる》ので、動かすのはご法度である。死体は動かない。動かしたいという欲、衝動自体に気付くことが重要ということ。それに反応してしまわずに) 瞑想中にはこれに限らず様々なことが生じるが、この思いは、感覚的に、はっきりとした【事実】のように感じられていた。私は姿勢の悪い人間であるから、当然のことのようにも思っていた。 が、最近、これ自体がある種の認知、幻覚なのではないかと思って、その感覚に気付き(サティという)を入れるようにした。 すると、数分以上はかかるが、少しずつ、その歪みの幅が小さくなっていくように感じるというか、その歪みの認知、その強烈さみたいなのが収まっていくというか、最後は、気にならなくなる。歪んでいないという感覚に至る。 いや、歪んでいる、ねじれている、という感覚が消える。 この間、一度も体を動かしていない。(その後、なぜか若干、腰回りなどがふっとずれたりする。ねじれ、ゆがみの感覚の底に、腰のことがあるのか)   まさに、事実と思いなしながらの、幻覚であった。 認識していた歪み、ねじれの強度からすれば幻覚であろうというのは、当然のことなのだが、そのリアリティが強烈すぎて、「絶対に歪んでいる」という感じになってしまうのが常だった。これは、座る瞑想を始めた当初から、波はあるが、いつもどこかで感じていたものだった。 それがふっと消えるなんて不思議。耐え難い感覚にさえなっていたのに。 そうして、この幻覚、ゆがみの認知が消えた後の自分の姿勢には、何ら疑問を感じない、ふっとまっすぐにいられるという状態になってた。 ヴィパッサナーは本当に、不思議な認識訓練で

門から遠く離れて

僕が初めて読んだ仏教の本は、アルボムッレ・スマナサーラさんの「 怒らない練習 」です。 だから怒りについて考えることから、僕は仏陀の世界に入りました。 でもその前に、どのように考えていたかを振り返っておきます。それと対比させて、今を見てみたいからです。(このように、僕のつぶやきを一つの資料として、使うことは今後もよくあると思います)。 「私らしさ」とかはたいてい、プライドと怒りの源泉にしかなってない。幸せにも自由にも、ほぼ関係してない。 — じのん (@jinon) July 21, 2015 疲れにフォーカスしないようにするだけで、疲れが発生しないんじゃないかっていう、変な思いが最近ある。怒りにフォーカスしないと、怒りは消えていくから。 — じのん (@jinon) July 24, 2015 怒っていいということもない。瞬間的に怒りの花が咲くのは仕方ない。が、花は咲いたらすぐに枯らせ。どの感情も、すべて、すぐに枯らせ。 — じのん (@jinon) July 26, 2015 心、嘘と正義と怒りに汚されやすい。 — じのん (@jinon) August 6, 2015 心の中が、不安と怒りと羨望と妬みと苦しみとで埋まっているのは、確かにそれだけで不幸であるな。俺もそんなもんだ。そういうもんと、どう付き合うか、明日にそれを、どう持ち越さずに生きていけるか。 — じのん (@jinon) August 24, 2015 怒りにかられるのは、本当にムダだ。傷つくのもバカバカしい。 — じのん (@jinon) September 3, 2015 「怒らせるなよ」 これ、あまり良くない思考だよね、怒ってるなんつうのは大体自分が悪いのに、そこを他人のせいにしてる。 DVまで地続きになるよ、怒りを他人のせいにすると。 — じのん (@jinon) September 23, 2015 配偶者や恋人が、いつもいつも、 「怒らせるお前が悪いんだ」 と言ってたらあれです、DVの可能性があるので、気をつけましょう。 怒りにわれを忘れるその人が、自分の怒りを許してしまうその人が、基本的には悪いです。 — じのん (@jinon) September 23

サマタ瞑想の分類・禅定に達するか・どのような智慧を得られるか

備忘録として。 ブッダの実践心理学―アビダンマ講義シリーズ〈第7巻〉瞑想と悟りの分析1 から http://www.amazon.co.jp/dp/4905425077   サマタ瞑想は40種 あって、種類でも分けられるし、 禅定 に達するものと達しないものとしても分けられる。達しないものは、智慧が得られるとのこと。 僕としては禅定を求めているわけではないから、智慧が延びるのがよいと思うので、それらをピックアップしておきたい。 不浄遍 第1禅定まで 欲の人間にあっている。 施捨隨念 禅定に達する(第一?) 煩悩からの解放 「これは私にとっては得です。確かに大得です。衆生の心が「物惜しみ・ケチ」という汚れに抑えられているのに、私は物惜しみ・ケチの汚れに染まらないで、在家生活をしている。私の心は施捨に開かれている。施しの手を差し伸べている。譲るのが好きです。頼りにされる性格です。与えて分け合うことを喜びとします」 死隨念 禅定に達しない 死を念じる。自分の死を念じて確認する。だが自分の死は経験できないから、他人の死を見て、「自分も必ず同じ運命になるのだ」と念じる。 「私は必ず死ぬのだ」 「誰でも死ぬのだ」 「一切の衆生は死ぬのだ、 生きることの終点は死である」 「死という現象と出会うために、私もこの世にあるのだ」 欲・怒り・エゴ・嫉妬・無知などの感情が機能しない状態になることが狙い 執着を薄く 身起念 禅定に達しない 身体の様々な部品を瞑想する。髪の毛やつめ、など。心臓や筋肉、皮膚、歯、など32ほどのものを。 欲の煩悩を制御する(性欲?)。肉体に対する執着、未練、期待を捨てる。 四無量瞑想(慈悲喜捨) 禅定に達する。(細かく言うと、段階が、慈悲喜捨のそれぞれで違う) 罪を犯さない生き方になる。 自我の錯覚が破れる。 これはすでにやっている。慈悲の瞑想ということでアルボムッレさんのいろんな本に載っているが、 喜捨も入っているようだから。自我の錯覚についても若干感じるところがある。嫌いな人について、出てこなくなったりする(状況が変わると出てきたりする)。 食厭想 食べるものに対しての想いを意図的に変える訓練   適量を必ず食べる。しかし、それは執着に値しない、厭うべき

このブログは何が書かれていくのか

このブログでは、ブログ主のじのんがツイッター  https://twitter.com/jinon  でつぶやいていることをもとに、「私たちの重力」にまつわることを書きます。 でも、私たちの重力とはなんなのか、僕もまだはっきりと言葉にできていません。 それがはっきりとして行くのがこのブログの流れかもしれません。 ただたぶん、この言葉にはスピリチュアルな意味合いはないし、物理的な力の話でもないでしょう。 今までも自意識の檻、私という重力といった言葉でモノを考えることが多かったのですが、今年に入って別の見方が加わり、さらによりはっきりと重力のようなものを感じるようになっています。 加わったものとは仏教です。今、僕は上座部仏教といわれる原始仏教の智慧と実践に、今年初めからどっぷりとつかっています。 これまで精神分析を勉強し、小説を書き、会社を経営してきましたが、そこに仏教が現れ、また別の角度が現れました。 その角度、光、照明の中で、私たちの重力について、書いてみます。