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ヴィパッサナーについて: 座る瞑想、姿勢のゆがみ、ねじれの感覚

座る瞑想をしていて、これまで、姿勢が整っていないと感じてしまうことが多かった。 具体的にはゆがみの感覚があった。いつもだいたい体の左側に問題が出るのだが、左肩が下がっているように感じるし、左側の首から肩にかけて、前方にぐにゅっとねじれていると感じる。 数値で言えば、何十度かねじっているのではないか、というようなくらいに感じられていた。 こういう感覚があると、微かに動かして調整するということを繰り返していたし、どうも完ぺきではないという思いに付きまとわれていた。姿勢へのこだわりが非常に強かった。 (スマナサーラ長老の 手法 では、ヴィパッサナーをやるときは、《死体を演じる》ので、動かすのはご法度である。死体は動かない。動かしたいという欲、衝動自体に気付くことが重要ということ。それに反応してしまわずに) 瞑想中にはこれに限らず様々なことが生じるが、この思いは、感覚的に、はっきりとした【事実】のように感じられていた。私は姿勢の悪い人間であるから、当然のことのようにも思っていた。 が、最近、これ自体がある種の認知、幻覚なのではないかと思って、その感覚に気付き(サティという)を入れるようにした。 すると、数分以上はかかるが、少しずつ、その歪みの幅が小さくなっていくように感じるというか、その歪みの認知、その強烈さみたいなのが収まっていくというか、最後は、気にならなくなる。歪んでいないという感覚に至る。 いや、歪んでいる、ねじれている、という感覚が消える。 この間、一度も体を動かしていない。(その後、なぜか若干、腰回りなどがふっとずれたりする。ねじれ、ゆがみの感覚の底に、腰のことがあるのか)   まさに、事実と思いなしながらの、幻覚であった。 認識していた歪み、ねじれの強度からすれば幻覚であろうというのは、当然のことなのだが、そのリアリティが強烈すぎて、「絶対に歪んでいる」という感じになってしまうのが常だった。これは、座る瞑想を始めた当初から、波はあるが、いつもどこかで感じていたものだった。 それがふっと消えるなんて不思議。耐え難い感覚にさえなっていたのに。 そうして、この幻覚、ゆがみの認知が消えた後の自分の姿勢には、何ら疑問を感じない、ふっとまっすぐにいられるという状態になってた。 ヴィパッサナーは本当に、不思議な認識訓練で